進◯の巨人は真実!?ネフィリムの正体とは…?

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東北大震災で地割れが生じ偶然現れた大きな巨人の骨をテレビで写ってしまった。

これは本来世に出してはいけないオーパーツ!?

本来事前に取材をし、放送中に映像に霊現象や、幽霊が映った場合はこれを「放送事故」として処理し、消すものである。

 

この騒動は生放送であることにより生じた偶然かつ、消去できない放送事故であった。
出てしまったものは仕方がない。

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このような巨人の「骨格」は、日本だけではなく世界各地でで目撃されているのはご存知だろうか?

ある国によっては隠さず、普通に報道している。
ブラジルのような南米ではよくあることだ…。

 

出てきてしまうと本来の歴史が変わってしまうようなものでも捉え方は違い、徹底的に隠す国もあれば、真逆でオープンな国もある。

本当の情報を取りたいなら日本で真実を探そうとしても無理なのかも知れない。

そもそもこのような事が事実だとしたら何故わざわざ隠す必要があるのか…?

それは、今まで語られてきた歴史が違ってしまうと都合が悪い人達がいるわけですね!
特に日本人には…。

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漫画にもある「進〇の巨人」はあながちでたらめな話ではないかも知れない。


聖書の創世記第6章、民数記第16章にも「ネフィリム」と記載されている。

そう!この出来事がすぐには理解出来ない方は「ネフリィム」という言葉だけでも覚えておいて下さい。

そして今後、あなたにその言葉が入ってきた時に思い出して下さい。

本来は巨人が存在するかも知れないという事と、何故その事実を隠さなければならないのか?
という事を。

 

本当の事実とは自分の答えが見つかるまで追求しようとした者のみが掴めるものなのかもしれません。

皇太子殿下と雅子さま ご成婚の裏にあったもの

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平成の世もあと一年余りになった。

来年430日をもって天皇皇后両陛下は、皇太子ご夫妻に天皇の地位を譲位され、上皇陛下、上皇后陛下となられる。

新しい時代が始まるわけだが、今の若い方々は、次期天皇皇后陛下となられる皇太子ご夫妻のことを、どれくらいご存知だろうか。

昭和の時代は、皇室の話題はごく普通にそして頻繁にテレビなどで取り上げられ、今の天皇陛下が皇太子殿下時代は、家族全員でのお写真も動画も頻繁に撮られ、お茶の間に流れていた。皇太子殿下、秋篠宮殿下、今は降嫁された黒田清子さんの学校行事や卒業式での様子、夏休みをお過ごしになるご一家の自然なご様子なども、しっかり写真や映像として納められ、実にオープンに披露されていた。そのため国民皆、当時の皇太子ご一家を「ふつうの家庭と変わらないご家族」という親しみを感じていた。当時は皇室に妃殿下も多くおられたので、ロイヤルファッションチェックの番組や週刊誌報道もとても多かった。

そんな華やかでオープンな皇室報道は、今はすっかりなくなってしまった。原因はおそらく、長い療養生活を送られる雅子さまを慮ってのことだと思われる。

 

皇室との縁組を熱望していた小和田家

平成の時代がもうすぐ終わるいま現在でも、ごく一般に言われていること。

雅子さまは、皇太子殿下の熱烈なプロポーズに折れる形で、外務省でのキャリアを泣く泣くお捨てになった。しかし皇室は、雅子さまの高い能力や国際感覚を十分に発揮するにはあまりに旧態依然としたところで、外国育ちのキャリアウーマンであった雅子さま適応障害を起こされた』

この流布は、ほぼ、真っ赤な嘘である。

雅子さまは、泣く泣く外務省でのスーパーキャリアを捨てて、皇室に嫁がれたのではない。外務省と当時外務省次官だった父、小和田恒氏を中心とした人々の猛烈な後押しによって、皇室に嫁いだのである。

1993年当時、皇太子婚約についての報道は、国内では報道協定が結ばれていた。しかし、その協定外にあったアメリカ合衆国の新聞『ワシントンポスト』が、同年16日に、日本の皇太子御婚約をスクープした。

このスクープを流したのは、ワシントンポストの日本人記者・東郷茂彦氏である。東郷茂彦の祖父・東郷茂徳は、太平洋戦争開戦時及び終戦外務大臣、父・東郷文彦は戦後、外務省事務次官と駐米大使を務めている。茂彦の双子の弟・東郷和彦も、元駐オランダ大使・外務省欧亜局長などを務める外交官だった。

雅子さまと皇太子殿下と婚約の報道は、当時の外務省を中心とした関係者が熱烈にその縁組を望み、全力でサポートし、見切り発車的にスクープを飛ばしたものなのである。

ワシントンポストのスクープを受けて、同日夕、日本の報道機関もなし崩し的に、皇太子妃内定の速報を一斉に流した。

16日に皇太子妃内定の速報が出ても、当事者であるはずの宮内庁は数日間、完全に沈黙していた。宮内庁はおそらく、婚約スクープに関して完全に蚊帳の外に置かれていて、この騒動をどう収拾させるか苦悶していたと思われる

 

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外務省とマスコミが作り上げたお妃候補 小和田雅子さん

時代がまだ昭和だった頃、1960年生まれの浩宮徳仁親王殿下の結婚は、いつも注目の話題だった。そんな中、1980年後半頃から、外交官の娘、ハーバード大学卒の才媛、小和田雅子さんの名前がまるで何かのキャンペーンのように、たびたびマスコミで喧伝されていた。東京大学在学中に外交官試験に合格したというニュースは、NHKや新聞でもとても大きく取り上げられた。

当時は海外留学、帰国子女、バイリンガル、キャリアウーマンなどとという言葉が大ブームで、雅子さんはそのすべてを持ち合わせている女性として、マスコミに盛んに取り立てられていたのである。

皇太子殿下と雅子さまは、198610月のスペイン・エレナ王女のレセプションで、初めて運命的な出会いをしたと言われている。しかし本当はそのずっと以前より、お二人はかなり親密な知り合いだったのではないかと、まことしやかに言われている。

1984年、浩宮徳仁殿下と小和田雅子さんは、欧州・ドイツ国境に近いフランス・アルザスコルマールという都市を、お忍びで旅行に行ったという話がある。お二人がその時、意気投合したのか、それともそのまま交際は自然消滅したのかは分からない。

しかし、運命の出会いとされる198610月のスペイン・エレナ王女のレセプション開催直前には、徳仁親王殿下本人の記事が掲載された写真週刊誌「FOCUS10/17号に、まるで狙い定めたように、『父娘2代の外交官誕生!』と、雅子さんのグラビアがデカデカとねじ込んであったことを見ると、小和田家とその周辺の人々が引き続き必死になって、雅子さんを殿下に売り込んでいたことが分かる。

エレナ王女のレセプション当日には、出席者名簿に手書きで、小和田雅子さんの名前が急遽書き加えられた。      

小和田家、外務省、マスコミ、の人たちにとって、宮内庁が選ぶ良家出身のお妃候補には決して加えられない小和田雅子さんという女性が、とても重要な人物だったのは間違いないのだ。

 

昭和天皇は反対対されていた

当時まだご存命だった昭和天皇は、徳仁親王殿下と小和田雅子さんとの縁組は反対されていたと伝えられている。また当時の宮内庁が、小和田家の家系や雅子さんの異性関係を調査し、雅子さんとの縁組は断念するよう浩宮徳仁親王を説得したと言われている。

しかし、昭和天皇19891月にご崩御。時代は昭和から平成に変わり、皇太子となった徳仁親王殿下の周辺がようやく落ち着いて来た頃に、小和田家とその周りの人々は、まだ独身だった皇太子殿下に、また猛烈なアタックを仕掛けてくるのである。

時にはご両親である天皇皇后両陛下や、宮内庁職員の目を欺いてまで、雅子さんとの密会の機会を作ったりしていたようである。

一度は破談になった雅子さん本人は、一時他の男性との結婚を考えていたとも言われているが、父親の小和田恒氏が、娘を皇太子妃にするという野望を、決してあきらめることはなかった。そして雅子さんも、結局は父親がひいたレール以外は歩いたことのないひとである。結婚も、親の言う通りの道を進んだのであった。

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雅子さまの背景にあるもの

16日のスクープから約2週間後の119日、皇室会議が開かれ、雅子さまは皇太子殿下の婚約者として内定した。この時、全会一致ではなく、昭和天皇の弟、三笠宮崇仁親王殿下は婚約反対の意思を出されたとされている。

そして69日、お二人は晴れて夫婦となられた。皇族の結婚式が行われる賢所での、十二単に身を包んだ雅子さまは、非常に険しい表情をされていたが、白のローブデコルテに着替えられると、明らかに幸せいっぱい、喜色満面の笑みを浮かべられていた。皇太子殿下の方が、これからの苦難の日々を何となく予感されてのことなのか、どこか神妙なお顔をされる場面が多かった。

1993年の世紀のロイヤルウエディングがあった当時は宮沢内閣、河野洋平氏が内閣官房長官、そして、外務省次官が皇太子妃の父となった小和田恒氏だった。

ロイヤルウエディングより2か月後の同年8月、その後、長期にわたって日本を苦悩させ、日韓関係を狂わせるあの「河野談話」が発表されるのである。

当時、新聞社は既に斜陽産業だったが、朝日新聞などの左派メディアの勢いはまだまだすさまじかった。マスコミの号令で時の政権を操作することは十分可能な時代であった。

 

いまから25年前、様々な人々の思惑を背負って皇室に嫁がれた雅子さま。来年の新天皇御即位を控え、今年の69日には皇太子殿下と銀婚式を迎えられる。

 

オバマ元米国大統領は安倍に何を語った?

 

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バラク・オバマアメリカ合衆国大統領(任期20092017)が今年3月末に突然来日し、安倍総理大臣と会談した。

この時期に、なぜオバマ元大統領が?と思われた方も多いと思う。

オバマ元大統領は就任中、日本でも人気の大統領だった。大統領就任前から、福井県小浜市の市民によって「勝手にオバマ氏を応援する会」なるものが結成されたり、オバマ氏の物まね芸人も頻繁にテレビに出ていた。また、大統領に就任した初年の200911月には、核なき世界についての理念や取り組みが評価され、ノーベル平和賞も授与された。

苦学して立身出世し、米国初の黒人大統領となり、核兵器廃絶を本格的に目指してノーベル平和賞を受ける…。

オバマ大統領は、まるでハリウッド映画に出てくる大統領のようであった。

 

人気のオバマ 叩かれるトランプ

それに比べ、現職のドナルド・トランプ大統領へのマスコミによるバッシングはすさまじい。就任前のトランプ大統領に真っ先に会いに行ったのは日本の安倍総理大臣だが、日本でも、安倍総理大臣に対するマスコミによるバッシングはすさまじい。

トランプ大統領ロシア疑惑安倍総理大臣は森友、加計疑惑である。日米のマスコミは、トランプはもう終わり、安倍はもうすぐ失脚と、そればかりを狂ったように書き立て、叫び続けている。オバマ元大統領の時とは、ずいぶんな差である。原因は一体何なのか。

答えは割とシンプルである。トランプ大統領安倍総理は、新聞、テレビを代表するオールドメディアと敵対しているからである。もう少し正確に言えば、オールドメディアに金を出している連中と真っ向から敵対しているからである。

 

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国のために働くと叩かれる

さらにいうと、トランプ大統領安倍総理に共通するのが「強い国家を目指すこと」だからである。それぞれの政治理念は、トランプ大統領は「アメリカンファースト」、安倍総理は「日本を取り戻す」である。

21世紀の今、減税や財政出動など自国の経済を強める政策に転換したり、日本の場合であれば憲法改正、米国なら移民問題など、「自国民の利益重視」の政策を打ち出すと、必ずレイシスト、差別主義者、独裁者、ヒトラーの再来などというレッテルを貼られる。これはなぜか。

少し前、フランスの経済学者ピケティ氏の「21世紀の資本」が話題になったが、現在の社会では、「労働して賃金を稼ぐ」よりも、パソコンキー一つで操作する金融経済の方が、はるかに巨額の富を築くことが可能である。いまは実体経済よりも、金融経済において遥かに巨額の金が動いている。

特に国際金融資本家たちは、地球上に存在するどの国の国家予算よりも、遥かに巨額の富を独占している。

この地球上には、はっきり目には見えないが、国際金融資本という大帝国が、ずっしりと覆いかぶさっている。それは、経済大国の米国、日本、中国などよりはるかに巨大な化け物なのである。

 

強い国家を欲しない金融大帝国

この大帝国は、地球上の各国が、自国民への政策に重点を置く、強い国家になることを望んでいない。あくまでこの大帝国の忠実な下僕となる政治指導者が各国に生まれることだけを望んでいる。

この金融帝国に忠誠心を誓っているのが、新聞やテレビなどのオールドメディアある。

彼らが、ペンは剣よりも強し!の精神で、報道していると思ったら大間違いである。彼らは、お金を出してくれるスポンサーのために活動しているのであって、正義のために仕事をしているのではない。

トランプ大統領は、いくつもの企業を経営する社長で、本人自身が大資産家である。トランプ大統領がマスコミから悪魔のごとく嫌われるのは、金で懐柔させる余地がトランプ大統領にないためである。本人が億万長者ゆえ、皮肉にも、この地球を支配する金と権力からもっとも遠い人物なのである。

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米国ではなく、国際金融に尽くしたオバマ

オバマ元大統領は、大学生の時に広島、長崎の核兵器使用について強い憤りを持ち、政治家を目指したと言われている。しかし、晴れて米国大統領となった時、彼のブレーンは、ウォール街の重鎮ばかりで占められてしまった。世界一強い指導者であるはずの米国大統領が、実は金融大帝国の下僕に過ぎないと知ったとき、オバマ氏は失望したと思う。

オバマ政権時代、米国の中間層は崩壊し、富の格差は広がるばかりとなった。20119月には、「We are the 99%」をスローガンに、ウォール街での大デモも起きたが、デモは数か月で収束してしまった。

しかしその後SNSを中心として集結された米国民の声が、トランプ政権を生み出した。

 

3月末に来日したオバマ元大統領は、安倍総理と高級すし店で共に舌鼓を打ったそうだが、現在マスコミから総叩きに遭っている安倍総理と、一体どんな話をしたのだろうか。

私も君のように闘いたかったとこっそり言ったのか。それとも、大帝国には逆らわないほうがいいよ、と忠告したのだろうか。本当の真相は謎のままである…。

伝説の怪談「生き人形」都市伝説 YouTube

 

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怪談マニアの間で、半ば伝説となっている怪談がある。稲川淳二氏の代表作「生き人形」である。

怪談「生き人形」は、昭和の時代に、人形を使った舞台「呪夢千年」に出演した稲川氏、関係者たちの、人形をめぐる怪異譚である。舞台に直接出演した俳優だけでなく、人形製作者、人形遣い、舞台の関係者みな、人形たちに魅入られ、呪われ、次々と災厄に見舞われていった。

人形は、突然恐ろしい形相に変わったり、演者の恋愛に横恋慕したり、記憶を失わせたり、ノイローゼ状態にしたり、時には、関係者に大ケガを負わせたり、火事を起こしたり、最後は命まで奪ったりと、人々を恐怖のどん底に突き落としていった。凶事の連鎖に、稲川氏もこの一連の話を長らく封印していたようである。

 

YouTubeで幻の動画が見られる!

この生き人形の怪異譚の中でも特筆すべきは、何といっても関西地域で放送されたワイドショーでの騒動であろう。それは、昭和5683日に大阪・朝日放送「プラスα」で放映された「生き人形」特集である。「プラスα」は、当時関西地方で、午後の時間帯に生放送されていたバラエティー番組である。

当日、放送が始まる前から、すでに怪異は始まっていたとされている。テレビ関係者が出演予定の稲川氏と事前の打ち合わせをしていると、稲川氏の膝に、小学生くらいの子どもが座っていたという。関係者は稲川氏が、自分の子どもか親戚の子どもを連れてきたと思ったという。

また、スタジオセットを準備していた美術担当者も、セットとして件の生き人形を座らせたその付近に、小学生くらいの男の子がうろついていたのを見ている。

そして本番…。

 

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生放送中に起きた数々の怪異

筆者は最近になって、この有名な放送の一部を、YouTubeで見ることができた。

YouTubeに上がっていたのは、昭和56年放送時の番組そのものではなく、当日の放送を検証した同じ朝日放送の「早熟半熟なまたまご」という番組である。その番組の中で、当時の映像の一部が流れるという形になっている。

映像には、噂の生き人形が番組セットの脇の椅子に座っている様子、朝日放送のアナウンサー、稲川淳二氏、霊能力者らが映っている。そしてスタジオの雰囲気は、なにやら尋常ではないことが伝わってくる。

スタジオ内の照明が微かではあるが揺れており、稲川氏も非常に落ち着かない様子である。出演者たちの後ろに立てられた「真夏の恐怖」と書かれたパネルや背景の幕も、なぜか終始グラグラとうねっている。

当時、生で番組を見ていた視聴者からは、いるはずのない小学生くらいの男の子が映っているという問い合わせが殺到したそうだが、残念ながらYou Tubeの映像では、男の子の姿は確認できない。

 

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YouTubeに映っている恐ろしいもの

YouTubeでは男の子の幽霊は確認できないのだが、当時の番組担当者らが、生き人形の胸が上下して呼吸しているのを見たとか、この人形は生きている!!と震えあがった恐ろしさは、今でも感じることができる。

それが、古い録画映像の画面ノイズのためなのかは、筆者にも分からない。

しかし、スタジオ内に座らされている生き人形は、本当に生きているかのごとく、カメラが向けられた時、時折、パクパクと口元を動かしている。見る人によっては、瞼も動いているように見えるらしい。

明らかに、ふつうの人形でないことは、霊感のない人間でも分かる。

複数体はあったという劇で使われた人形たちは、もうすでに一体もこの世に残っていないようである。見ることができるのは、インターネット上の動画や画像においてだけである。

怪談好きには、貴重な映像を、ぜひYouTubeで確認してみてほしい。