天皇陛下 大嘗祭とはなにか

2018425日、赤坂御用地にて、恒例の春の園遊会が開かれた。

天皇皇后両陛下が各界で活躍された人たちをお招きになって、お言葉をかけねぎらわれる、春秋2回行われる恒例行事である。

天皇皇后両陛下が主宰されるのも、おそらくあと2回、1年後の春の園遊会が最後と思われる。

当然、それ以降は皇太子ご夫妻に引き継がれるわけだが、皇太子妃雅子さまは、多くの人とお話を交わす園遊会を大の苦手とされている。

先の園遊会でも、赤坂御用地の築山にはご登場になったものの、そこを天皇皇后両陛下とともに下りてくると、集まった人々と言葉を交わすこともなく、会場をあとにされた。

晴れ着に身を包んで長時間待っていた招待客たちは、肩透かしにあったであろう。

しかし、皇太子殿下とともに新しい時代を担われる雅子さまには、園遊会だけではない、とんでもなく大切な行事が来年以降、目白押しに控えている。

特に大切なのは、大嘗祭(だいじょうさい)である。

これを無事遂行しなければ、真の天皇とはなれないといわれる行事である。

 

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平成31年の御譲位スケジュールとは

まだ平成31年の一連のお行事についての細かいスケジュールは発表になっていないが、平成31430日に天皇陛下が譲位され、翌日51日に皇太子殿下が即位され、元号改元される予定である。

譲位は江戸時代後期、第119光格天皇以来約200年ぶりということであり、譲位の儀式も文献などを参考にしながら、現代に合った儀式が遂行されるものと思われる。

来年430日の儀式は、天皇陛下の位の証、つまり神器と御璽、国璽をお返しになる儀式になると思われる。

 

 

今上陛下の即位の礼大嘗祭はどのように行われたか 

昭和天皇198917日午前6時半頃に崩御された。そして時間を置かず同日午前10時には、当時皇太子殿下だった今上天皇剣璽等承継の儀(けんじとうしょうけいのぎ)に臨まれ、剣、勾玉、御璽、国璽を継承された。

当時筆者は、昭和天皇が亡くなられたばかりのこんなに慌ただしい状況の中で、引き継ぎの式を挙行することに驚いた。天皇の地位に空白があってはならないのである。

今上陛下が昭和天皇崩御の翌年平成2年に臨まれた儀式は、以下のようなものである。

平成211月に入ると、即位の礼を前に3日間にわたって式の御習礼(予行練習)をされ、即位の礼に臨まれた後は、祝賀の儀、饗宴の儀と、各国来賓との会見等が1週間続いた。

それが終わったのち、いよいよ大嘗祭のための1週間をお迎えになった。

大嘗祭もまず御習礼があり、そのあと心身を清める御禊(みそぎ)がある。大嘗祭1123日に合わせて行われる。1123日は現在、勤労感謝の日と呼ばれているが、この呼び名は、戦後GHQ占領下で米国が考えた言葉で、本来であれば新嘗祭(にいなめさい)と呼ぶのが正しい。新嘗祭は、天皇陛下がその年に収穫された五穀を神様にお捧げになる日で、天皇陛下はこの日まで新米を口にされない。

即位されたばかりの天皇陛下が初めて執り行う新嘗祭を、大嘗祭と呼ぶ。つまり五穀豊穣を祈ってこそ、天皇は初めて天皇となるのである。

今上陛下は、この一番重要な大嘗祭を終えられたのちは時を置かずに地方行幸にお出かけになり、即位の礼から始まりほぼ1ヶ月間、まったくお休みなしという状況だった。

皇太子ご夫妻は来年、これに近いスケジュールに臨まれることになる。しかし長期療養中の雅子さまには負担が重すぎると考えられ、ほぼ、皇太子さまお一人でなさるのではないかと、筆者は見ている。

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神話の再現 秘儀「大嘗祭

天皇が初めて行う新嘗祭大嘗祭というが、は、一世一代の秘儀のため、一般にはその内容の詳細は知られていない。ただ、この大嘗祭のためだけに、大嘗宮である悠紀殿(ゆきでん)、主基殿(すきでん)が建てられる。今上陛下の場合は、皇居東御苑に造られた。

大嘗祭では、この日のために西と東からそれぞれ選ばれた東日本(悠紀田)と西日本(主基田)からの収穫米が奉納される。その年の新米にこそ、日本列島の聖なるパワーが満ちていると考えられているからである。

天皇は先代から「天皇霊」を引き継ぐだけでなく、その力を活性化させる必要があるので、引き継がれる三種の神器以外は、大嘗宮をはじめすべて新しいものが準備される。

さて、大嘗祭のためだけに建てられた悠紀殿、主基殿で、いったい何が行われるかと言うと、簡単に言えば神話の世界を再現することである。つまり、天孫降臨した邇邇芸命(ニニギノミコト)そのものに、新天皇がおなりになる儀式が行われる。

日本書紀には、天孫である邇邇芸命は、「真床追衾(まとこおうふすま)」という膜状のものに覆われて降臨したとされる。大嘗宮には廻立殿(かいりゅうでん)という休息所があり、新天皇はここで沐浴されてから、悠紀殿、主基殿でそれぞれ2時間ずつお過ごしになる。悠紀殿、主基殿の正殿にあがれるのは新天皇ただおひとりである。

正殿内部には、分厚く敷物が重ねられた聖なる寝座があるとされる。その周辺に、神様の衣である神御衣(かんみそ)=和妙(にぎたえ)と呼ばれる絹と、荒妙(あらたえ)と呼ばれる麻の反物が供されているという。あらたえは古来より、大嘗祭の折に、阿波国(徳島)忌部氏のみに製作を任され調進される大麻の織物である。またさらに寝座周りには、沓、扇、櫛なども置かれているという。

こういった神具とともに2時間ものお籠り中、新天皇が何をなさるのかは全くの謎とされる。しかし悠紀殿、主基殿でそれぞれ過ごされたのちの新天皇には、儀式前とは明らかに違った威厳、神威が備わると言われている。

大嘗祭こそ神話の国日本の真髄である。それがもう間もなく行われ。日本国民として、心してその日を待ちたいと思う。

 

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